アダムはいなかった 「方舟」2

 空気にコーヒーの匂いが混じる。顔を上げれば、組織のロビーに立っていた。

 途端、薄暗く静かだったスラムとは一転。行き交う人々の声や連絡モニターの蛍光色、突然現れた私たちに驚く視線、その他諸々が一息に突き刺さる。

 正直言って、こうして情報量で殴られる感覚には、何度転移を繰り返しても慣れることはできない。目を閉じ数度頭を振って、ようやく落ち着いた辺りでふと。腹を押さえながらも、自力で立つ男が物珍しそうにしているのが見えて。

「……人が来るまで、少し話しましょうか」

 端末を操作し、空中に立方体を映し出す。それがぱかりと縦に割れ、中に七つの階層を抱えているのが分かるアニメーションを披露すれば、「今いるのはここ、かい?」と最上階の光点を指差した。

「そうです。先ほどまで私たちがいたのは最下層ですから、ここが明るいのは当然でしょうね」

 言いながら再度端末を操作すれば、立方体の真ん中を、透明な円筒が貫いた。そして最上階のてっぺんに、現在位置の光点よりも強い光が灯る。

「これが先ほど言っていた『太陽』です。この円筒を通り、各階層に光を届けていますが、なにせ方舟は巨大ですから……最下層まではほぼ光が届きません」

「なるほどね。確かにそれは、できるだけ上に住めたら便利だろうね……」

 ……なんだろう、この物言いは。方舟のことを何も知らないどころか、まるで外から来たばかりのような印象さえある。

 けれどその違和感が声になるより早く、医療スタッフたちが血相を変えて飛んでくるのが見えた。彼らに男を引き渡し、物言いたげな視線を浴びつつも踵を返す。

「お願いしますの一言もなしかよ、一人で突っ走って人を巻き込むなっての。
 ……こっちだって、死人が出たばかりで忙しいのにな。家族も見舞いに来ないような、小さい女の子だったんだ……」

 そりゃあこの組織は、病院も兼ねているから死人は出るだろうよ。そんなことで私が動揺すると思っているなら、さすがに甘く見られすぎている。

 だがあの男本人も、大丈夫だと言っていたし。自分だけで立つこともできていたのだ、心配しなくても大丈夫だろう。にわかに騒がしくなるロビーを抜けて、私は上階行きのエレベーターに乗り込んだ。

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静海

小説を書くこととゲームで遊ぶことが趣味です。ファンタジーと悲恋と、人の姿をした人ではないものが好き。 ノベルゲームやイラスト、簡単な動画作成など色々やってきました。小説やゲームについての記事を書いていこうと思います。

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