空気にコーヒーの匂いが混じる。顔を上げれば、組織のロビーに立っていた。
途端、薄暗く静かだったスラムとは一転。行き交う人々の声や連絡モニターの蛍光色、突然現れた私たちに驚く視線、その他諸々が一息に突き刺さる。
正直言って、こうして情報量で殴られる感覚には、何度転移を繰り返しても慣れることはできない。目を閉じ数度頭を振って、ようやく落ち着いた辺りでふと。腹を押さえながらも、自力で立つ男が物珍しそうにしているのが見えて。
「……人が来るまで、少し話しましょうか」
端末を操作し、空中に立方体を映し出す。それがぱかりと縦に割れ、中に七つの階層を抱えているのが分かるアニメーションを披露すれば、「今いるのはここ、かい?」と最上階の光点を指差した。
「そうです。先ほどまで私たちがいたのは最下層ですから、ここが明るいのは当然でしょうね」
言いながら再度端末を操作すれば、立方体の真ん中を、透明な円筒が貫いた。そして最上階のてっぺんに、現在位置の光点よりも強い光が灯る。
「これが先ほど言っていた『太陽』です。この円筒を通り、各階層に光を届けていますが、なにせ方舟は巨大ですから……最下層まではほぼ光が届きません」
「なるほどね。確かにそれは、できるだけ上に住めたら便利だろうね……」
……なんだろう、この物言いは。方舟のことを何も知らないどころか、まるで外から来たばかりのような印象さえある。
けれどその違和感が声になるより早く、医療スタッフたちが血相を変えて飛んでくるのが見えた。彼らに男を引き渡し、物言いたげな視線を浴びつつも踵を返す。
「お願いしますの一言もなしかよ、一人で突っ走って人を巻き込むなっての。
……こっちだって、死人が出たばかりで忙しいのにな。家族も見舞いに来ないような、小さい女の子だったんだ……」
そりゃあこの組織は、病院も兼ねているから死人は出るだろうよ。そんなことで私が動揺すると思っているなら、さすがに甘く見られすぎている。
だがあの男本人も、大丈夫だと言っていたし。自分だけで立つこともできていたのだ、心配しなくても大丈夫だろう。にわかに騒がしくなるロビーを抜けて、私は上階行きのエレベーターに乗り込んだ。