どこまでも遠いゴールまでの道を、私はずっと走っている。
途中でひどく息が切れ、へたり込んだところを叱られた。隣を走ってくれていた、大切だったはずの誰かはとうにいない。それでも叱られるのが嫌で、またずっと全力で走る。
周りは言うのだ。今までは走れていただろうと。そして今も、走れているのだからできるだろうと。けれどもう、足は棒だし息は苦しい。その上ひどい目眩もあって、喉だってカラカラに渇いている。
どうすればよかったのか、未だによく分からないのだ。
だって全力で走らなければ、ちゃんと走れと怒られる。それで疲れ果てて、立ち止まればサボるなと怒られる。どうして潰れて再起不能になるまで、頑張ったねと言ってもらえないのだろう。
もしもこのまま走り続けて、いつか転んで——そのまま走れなくなったとするなら。頑張ったんだね、疲れてたんだねと優しくしてもらえる。そんな幻を目の前にぶら下げられたまま、まだ走れるから、走るしかないのだ。
フォームなんてもうめちゃくちゃだ。それでも全力で走り続けることが、何よりも大事らしい。どんな形でもいい、どんな姿でもいいと飛んでくるそれは、あるいは応援のつもりで発せられているのだろうか?
……意味が分からない。
そこそこ遠くてよく見えないが、隣に位置するレーンを見やる。あちらでは手を引いてもらって、楽しそうに走る人がいた。それをいいなと思うなど、相手のことが何も分かっていないと叱られたこともある。
聞けばあのレーンは、果てが崖になっていて落ちるばかりなのだと。楽しそうに見えるのは、彼らが全てを諦めているからだと。そう言われるとひどく、申し訳ない気持ちになるけれど——ならば今、私が生きているこの人生は、いったいなんのためにある?