(兄、さん……?)
『おう、オレだ。そんでさっき、お前が空けた穴に指でも突っ込んどけ。塞がったら詰むぞ』
いったいどういう意味だろう。だが私が動くよりも早く、塞がりかけていた穴にサイラスが手を突っ込んで広げる。とりあえず、彼の指五本は通る穴になった。
『んで……ごめんな、希空。ちょっと事件の解決、見届けられそうにねえわ』
……彼が何を言っているのか、理解できなかった。
『いいのかい、アレク。君のその状態で、力なんて使おうものなら……消えるよ、君は』
『もちろんです。むしろこうして、オレの力で一矢報いられるなんて光栄だ。
……なあ、希空。オレは約束を守れないが……お前は、どうだ』
彼が言わんとすることは分かる。自分を犠牲に、生きろとまっすぐ告げているのだ。
(……私、は)
『ああ』
(私は……兄さんもサイラスも、みんな揃っていたかったのに)
『オレもだよ。ただこうなっちまった以上、こうでもしなきゃどうしようもない上に……さ。どっちにしろオレはそう遠くないうちに……力も意思も失った、ただ赤いだけの砂になる。
それならお前たちを助けてさ、ああよかったって思いながら終わりてえんだよ。もう二度と、救えないまま後悔したくねえんだ。
だから……わがまま言って、ごめんな』
言うなり、腰のポーチから赤い光があふれ出る。ほとんどブラックアウトした視界の中でも、それはとても眩しくてあたたかい、光で。
(……頑張るね、私)
『ああ、だからオレも全力でやるさ。
……オレの力は、扉の開閉。そんでお前が、必死に開けた穴を扉と見なす。それで脱出できるだろうから……まあ後は、お前らがどれだけ踏ん張れるかだな』
ぎこちない手で、アレクを取り出す。彼の声には段々と、ノイズが混ざり始めていた。
『……こうしてご丁寧に瓶に入れてくれてなきゃ、オレも吸収されてただろうし……そもそも最初に、オレが死んでなきゃこの力は使えなかった。因果だなあ、でもオレは満足だよ。
というわけだ。妹よ、オレはお前を許さない。だからお前もオレを……どうか、許さないでいてくれ』
それじゃあな、と彼が手を振る幻が見えた。光がさらに強くなり、本格的に何も見えなくなる。
『ありがとう、アレク。僕たちから君に、最大級の敬意を』
そしてサイラスが、引き戸を開けるように手を動かし——音もなく。裂けた空間から、空気が流れ込んできて。
渇望していた酸素の濁流。咳き込みながらも吸い込んで、私は床へと倒れ込んだ。
イヴだったものが、急速に縮んでいく。それは蛹を破壊された幼虫のように、崩れてはいけない均衡を壊された者の末路だった。
その拍子に手から離れ、床へと落ちた瓶を手に取る。中身は残っているものの、もうそこにアレクはいない。
……無言のまま、瓶を抱き込む。胸にぽっかり穴が空いたようだ、なんて表現を、またこうやって体験するとは思わなかった。
けれど、張っていた気が緩んだせいだろうか。意識が沈んでいく感覚に、抗えるほどの気力はなく。
閉じた瞼の向こうで、誰かが私の頭を撫でたような気がした。