初めてカウンセリングを受けたのは、大学生の時だったと思います。人とどう接すればいいかわからない、人間関係についての悩みでした。人間関係の悩みは、小学生の時からあったと思います。中学の時から明らかに孤立しました。今もそうですが、小学生以降自分から声を掛けて人と仲良くなる経験がありません。人と関わることに不安もあったので一人で行動するようになりました。それでも人に相談することはありませんでした。
中学、高校とカウンセリングを受けなかったのは、ハードルが高かったことと自分の思いを言葉にするのが難しかったからだと自分では思っています。当時はカウンセリング室に行くことは異常な人と見られるという思いが強かったのだと今では思います。カウンセリングを受けることがなくても明らかに浮いていたので、すでに変わった人と思われていたはずです。中学の時は周りの人が話しかけてくれることがたまにありました。担任の先生などが気を使って話しをしてくれるよう頼んでくれていたのだと最近になって思うようになりました(ずいぶん時間が掛かりました)。高校の時も最初に同じクラスだった人が3年生のときまでたまに話しかけてくれることがありました。高校の時はもしかしてわざわざ話しかけてくれているのではないかと時々思っていました(なぜこのときに中学生のときも配慮があったと思わなかったのかわかりません)。変なプライドで、自分で何とかしなければならないのに、と思い、その時も少し距離をあけてしまったところがありました。カウンセリング室に行こうが行くまいが周りの評価は大きく変わらなかったでしょう。当時はそう判断できませんでした。また当時の自分は自分が何を思っているかよくわからないようなところがありました。小さい時から話すのは苦手でした。自分の思いを外に出さないので自分が何を思っているかよくわからない、表現する経験が少なかったのだと思います。『ラクガキ・マスター』(寄藤 文平、美術出版社)という本には、描くことで自分が頭に思い描いていることが見えてくる、というようなことが書いてありました。自分にはもっと表現が必要だったようです。
今もそうですが承認欲求が高く、嫌われるのが嫌でした。誰か1人でもわかってくれる人がいてほしいと思うより、誰からも変に思われたくない、嫌われたくないというふうに思ってしまったのでしょうか。高校では部活を辞めると言えず、とても迷惑をかけました。今ではまずカウンセリングを受けた方がよかったと後悔しています。まず人と関わる基礎を作ることを優先した方がよかったです。
相談しないでいると問題が解決できなかったので、行動を抑制することで問題が起きないようにと考えるようになりました。そうなると1人でいることが多くなります。「NHKスペシャル アフターコロナ 人に会うのがツラい ~科学で解明!心の異変~」だったと思いますが、その番組内で、精神障害がない人でも、他人と接する機会がなくなると人と接するのが難しく感じる場合があると紹介されていました。自分も幼稚園に通っていたころなどは今よりもコミュニケーションをとれていたはずですが、なぜそうできたのか今ではよくわからなくなっています。このように孤立すると問題が増えることがあります。解決する問題の数が増えるかもしれませんし、社会で生きていく状態に戻るまでの時間が長くなると思います。
作家の遠藤周作は『人生には何ひとつ無駄なものはない』という題の本を書いていますが、まだその言葉を理解することができていません。落ち込む時間は減りましたが、学生時代には戻りたくないというのが本音です。相談できなかった経験が何かにつながるのか、まだよくわかっていません。
今もこれは相談することなのだろうかなどと思い、相談しないこともあります。相談するための相談が必要だ、と思いながら生活しています。
参考資料
- 『ラクガキ・マスター』寄藤 文平 著、美術出版社
- 「NHKスペシャル」のサイト
アイキャッチ画像
- いらすとや「頭を抱えて悩んでいる人のイラスト(男性)」