考えることは苦手だと何回か書いてきました。ただ、何か自分にもできることはないかなと思ったことはあります。高橋源一郎の『一億三千万人のための小説教室』と、清水良典の『2週間で小説を書く!』を買ったことがありました。両方少しずつ読みましたが、小説は書けませんでした。何をしたらいいかわかりません。過去の作品をまねてみるとよいと書いてありましたが、何をどうすればまねになるのかがそもそもわかりませんでした。『一億三千万人のための小説教室』にはブックリストがついていました。本を集めることは好きなので、そこに書いてあった本を何冊か集めました(集めただけで満足してしまうのはゲームをしていたことが影響しているでしょうか?ゲームだとボタンを押せば使用できます。本は読まないと、、、)。なかでも太宰治の本は値段が安く集めやすかったので5,6冊買いました。長編は読むのが難しかったので短編を読むことに。本の目次を見たとき「清貧」の文字が目に止まりました。教科書に載っていた『木を植えた人』や宮沢賢治のエピソードに触れて、不真面目な自分は、こういう生き方ができる人もいるのかと憧れをもった時期がありました。『木を植えた人』、『ブッダのことば』、『報徳記』などを買ったことがあります。ようやく自分には無理だと気づき始め(遅い!)ましたが、その憧れは今でも残っています。そのときも気になって「清貧譚」を読みました。題から聖人のような人がどう生きたかについて書かれている本だと想像しましたが、菊が好きな、少々ひねくれた人が好きなことによって幸せになる話だと思いました。「清貧」とは不自然で非人間的なものだと著者は考えていたのでしょうか。「清貧譚」の主人公のひねくれている性格が自分にも通じるところがあると勝手に考えて親近感を持ちました。自分の論を譲らないところ、自分の育てた花を決して売らないところ、花の育て方を競って負けたと思うと自分の家に閉じこもってしまうところなど笑いを浮かべずにはいられません。おそらく直に接すると、とても困ってしまうとは思いますが、遠目で見るとどこか親しみを感じます。悪い人ではないとも。そんな主人公を花の精たちはやさしく包み込んでくれます。最後の方で主人公は花の精の姉と結婚します。主人公が新しく作った小屋と、もともとあった家を、花の精の姉が壁を壊してつなげてしまいます。そして勝手に荷物を持ち込み一緒に住むのです。主人公はまた屁理屈をこねますが、花の精の姉といっしょに暮らすことになります。主人公は幸せに暮らしたようです。ひねくれは治ったのでしょうか。それともくすくす笑われながら暮らしたのでしょうか。受け入れてくれる人がいるというのは幸せだなと感じた本でした。
参考資料
- 『一億三千万人のための小説教室』高橋 源一郎 著、岩波新書
- 「清貧譚」太宰 治 著、新潮文庫『お伽草子』