▶なぜジャンヌ・ダルクは旗を持っているか?
「我が神はここにありて」
スキルが発動すると、彼女が掲げた旗から、まばゆい光が広がっていきます。それは味方を照らす光。人気アプリゲーム「Fate/Grand Order」において、ジャンヌ・ダルクは非常に優秀なサポーターキャラとして活躍してくれます。衣装やキャラクターデザインも評判が高く、ユーザーからの支持も厚い、大人気キャラクターになっていますね。
ユーザーの皆さんは、なぜ彼女が旗を持っているか知っていますか?
実はジャンヌと彼女の旗は、切っても切れない関係にあるのです。
どういうことなのか、歴史上の彼女の行動に焦点を当てながら見ていくことにしましょう。
▶ジャンヌ・ダルクを1分で
ジャンヌは1412年、フランス東部の小さな村に生まれました。成長した彼女は、神の啓示を受けたと宣言してシャルル王太子と面会し、彼の信頼を得てフランス軍に入りました。神の使いと称するジャンヌの存在によってフランス軍の士気は上がり、イングランド軍に包囲されていたオルレアンという都市を解放。さらに軍をランスに進めシャルル王太子の戴冠式を成功させました。しかし、その後敵対勢力の捕虜に。最終的にはイングランド軍の裁判で有罪となり、火刑に処され亡くなりました。わずか19年の生涯でした。
女性が軍に入って戦うなど、誰も想像しなかった時代。彼女は自身の聞いた「神の声」を信じてフランス軍を鼓舞し、勝利へと導いたのです。
▶ジャンヌの一生
◆生い立ち
1412年、フランス東部のドンレミという村にジャンヌ・ダルクは生まれました。
彼女は幼いころから信仰心に篤く、教会のミサなどには欠かさず参加していました。
そして13才になったある日のこと、突然ジャンヌは「神の声」を聞いたのです。声は何度も繰り返し同じ内容を彼女に呼びかけました。
「オルレアンを解放せよ」
「王太子をランスへ導き、戴冠式を行え」
「フランスを救うのだ」
時はちょうど英仏百年戦争の最中。休戦状態も挟んですでに何十年も泥沼のような戦闘が続いていました。全体的にフランスは劣勢で、次の王になるはずのシャルル王太子は戴冠式を行うことができず、パリすらイングランドの手中にある有様。ジャンヌが神の声を聞いたのは、このような状況のときでした。
やがて彼女は、この声を天からのお告げと確信をもつようになり、シャルル王太子のもとへ旅立つ決心をします。ジャンヌが16才になった頃でした。
◆シャルル王太子との面会
ジャンヌは、なんとか王太子の滞在しているシノンへ到着。しかし、ここでジャンヌに試練が与えられます。大勢の集まる広間で、王太子としてジャンヌに会ったのは偽者だったのです。ジャンヌは王太子の顔など知りません。ところがジャンヌは偽者をすぐに見破っただけでなく、大勢の群衆の中に紛れていたシャルル王太子を見つけ出し、こう言いました。
「神に誓って、王様はあなた以外のどなたでもありません。」
このあと、ジャンヌとシャルルは二人きりで話をしました。この一件でシャルル王太子はジャンヌを信頼するようになったといわれています。
そして、イングランド軍に包囲されている都市オルレアンへの援軍が編成されました。この時用意されたのが、今回のお話しのテーマである「聖マリアの旗」です。中央に聖母マリア、両脇に二人の聖人が描かれたこの旗をジャンヌは愛用し、戦局を大きく左右するアイテムとなります。
◆オルレアンの戦い
オルレアンという都市は、フランスの北部と南部をつなぐ交通の要衝でした。すでにフランス北部はほぼイングランド軍とその同盟軍に占領されており、ここを突破されればフランス軍にとっては致命傷です。ただ、オルレアンは高い城壁をもつ堅固な城塞都市で、イングランド軍も簡単には攻略できませんでした。イングランド軍はオルレアンの周りにたくさんの砦を作り包囲する作戦に出ます。補給を断ち、立てこもるフランス軍を飢えさせて降伏させるためでした。
1429年5月、ジャンヌがオルレアンに到着。戦いなれている将ならば、オルレアンを包囲している砦を一つずつ攻略していく策をとるでしょうが、ジャンヌは違いました。たまたま起きた戦闘から砦の一つを奪うと、次の目標をイングランド軍の本陣トゥーレル砦として進軍したのです。これは結果的に功を奏しました。各砦に配置されていたイングランド兵はトゥーレル砦に援軍に向かう時間はありませんでした。イングランド軍は多くの砦に分散していたのに対し、フランス軍はひと固まりとなって戦うことができたのです。
5月7日、フランス軍はトゥーレル砦への攻撃を開始。しかし砦の守りは固く、フランス軍は一時退却して休息をとっていました。そこであるハプニングが起こります。ジャンヌのもとから聖マリアの旗が持ち去られそうになったのです。ただ、持ち去ろうとしたのは味方で、旗持ちを交代しようとしたのをジャンヌが気付かなかっただけのようです。
ともあれ、旗を取り戻したジャンヌは高々とそれを振りました。
まさにこの瞬間、運命の女神がフランス軍にほほえんだのです。
ジャンヌが旗を振ったのを見たフランス軍は、これを攻撃開始の合図と勘違いし、一斉にトゥーレル砦に攻撃を開始。イングランド軍は完全に不意を突かれ敗北し、全軍がオルレアンから撤退しました。
こうして戦いはフランス軍が勝利し、17才の少女ジャンヌ・ダルクによるオルレアン解放が達成されました。そのターニングポイントは、彼女が聖マリアの旗を振ったことだったのです。
◆その後のジャンヌ
次の目標はランスでの戴冠式を挙行することでした。代々のフランス王は、ランスにある大聖堂で戴冠式をおこなうことが慣例だったのです。
オルレアンに続き、パテーの戦いにも勝利したフランス軍は、ほとんど妨害を受けることなくランスへの入城に成功。大聖堂でシャルル王太子の戴冠式が挙行され、彼はシャルル7世として即位しました。正式なフランス国王が誕生したのです。ジャンヌはみごと「声」の指示に応えました。彼女の喜びは大きかったでしょう。
ただ、ジャンヌの成功はここまででした。つづいて、彼女はフランス最大の都市パリの奪還を計画します。しかしパリの城壁は厚く、結局、パリを落とすことはできませんでした。
ジャンヌはその後、イングランドの同盟者ブルゴーニュ公に包囲されたコンピエーニュという都市の救援に向かいます。しかし、そこで彼女はブルゴーニュ軍によって捕らえられてしまいました。
ジャンヌはイングランドに引き渡され、異端審問がおこなわれました。ここで思い出してもらいたいのは彼女の子ども時代です。教会に足しげく通う敬虔(けいけん)な教徒であったとお話ししましたね。そんな彼女の聞いた「声」がなんだったのかが最大の争点になりました。
ジャンヌは3か月に及ぶ裁判の中で、この声が聖ミカエルらのものだったと述べています。あくまで神の使いからの声だったと主張するジャンヌに対して、裁判官らはこれを認めず、声の主は「邪悪な精霊」によるものだったとして、ジャンヌに異端判決を出しました。
1431年5月30日、ジャンヌは火刑に処され処刑。遺灰はセーヌ川に流されました。享年19才。これがジャンヌ・ダルクの最期でした。
◆英仏百年戦争のその後
1435年、フランス、イングランド、ブルゴーニュの3か国による会議が開かれました。イングランドとブルゴーニュとの同盟関係は解消され、逆にフランスとブルゴーニュが接近、のちの和約へつながるきっかけとなりました。翌年、フランス軍はパリを奪還。以降もフランス各地で領地を取り戻し、1453年のボルドー平定によって百年戦争は終結しました。王と諸侯の元、フランスにようやく平和が訪れたのです。
そして百年戦争の終結後にジャンヌの復権裁判が開かれ、その結果1456年にジャンヌは無罪となります。さらに1920年には聖人の列に加えられました。ジャンヌの名誉は回復され、その死後もっとも有名な聖人の一人として、フランスだけでなく世界中で愛されています。
▶聖マリアの旗は、ジャンヌ・ダルクのトレードマーク
百年戦争時のフランス軍は連敗して消極的になっていました。そこに神のお告げを聞いたという少女が現れて軍を鼓舞したのです。フランス軍の士気が上がったことはまちがいありません。オルレアンの戦いでは、偶然がいいほうに転んだことは事実です。しかしフランス軍がイングランド軍に対して反攻に出ることができたのは、ジャンヌの存在があったからではないでしょうか。そしてジャンヌが聖マリアの旗を振ったことが戦いのターニングポイントとなっている。これは無視できない大きなエピソードだと思います。
おわかりいただけたでしょうか?聖マリアの旗は、フランス軍を勝利に導くジャンヌ・ダルクのトレードマークだったのです。こうした理由から、FGOでも彼女の持つ旗が重視されているのです。
歴史を変えた少女の物語は、彼女のもっていた聖マリアの旗とともに、これからも語り継がれていくことでしょう。
おわり
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参考文献
・図説ジャンヌ・ダルク フランスに生涯をささげた少女 上田耕造著 河出書房刊
・Wikipedia 「ジャンヌ・ダルク」