こんにちは。
突然ですが、人は死んだらどうなると思いますか?
おそらく永久に答えが出ないこの問い。この問いに対して、古来から世界中でさまざまな解釈が生まれてきました。
今回はその中から、古代エジプトで信じられていた「死者の書」を取り上げてみたいと思います。
古代エジプト人は、生や死についてどのように考えていたのでしょうか?
この記事では、「死者の書」という古代エジプトの文書と、古代エジプトの死生観について探求していきます。
どうぞ最後までお付き合いください。
「死者の書」は、古代エジプトで葬送の時に使われた呪文書
「死者の書」はパピルスに書かれた呪文や絵の集まりで、一種の葬送文書として死者の棺や墓に納められました。また地下墓の壁画にも描かれました。
書はおよそ200の呪文からなっています。呪文の内容は、冥界への入り口や関門を通過する方法、冥界の神々や怪物と対話する言葉、最後の審判で無罪を主張する宣誓、楽園アアルでの生活や太陽神ラーの船に乗る権利など、多岐にわたります。
このうち最も重要と考えられるのは、死後の審判に関する場面です。死者が来世で永遠の生を獲得するためには、審判に合格する必要があるとされていたからです。
なお「死者の書」は後世につけられた名前で、当時の古代エジプトでは「日中に出現するための呪文」と呼ばれていました。
古代エジプトでは、死後の世界においても生活が続くと信じられていました。そのため、死者の霊魂が来世で永遠の生を獲得するための「死者の書」が必要だったのです。
では死者はどんな行程を経て、あの世へ向かうのでしょうか?ここからは、「死者の書」の特に重要な場面を順番に見ていくことにしましょう。
行程は大きく分けて3つあります。
- 冥界へ旅立つ準備
- 神々による最後の審判
- 楽園で永遠の暮らしを手に入れる
では、一つずつ見ていくことにしましょう。
みなさんを冥界の旅へご案内します。
「死者の書」に描かれている重要な場面3点を紹介
「死者の書」には、具体的にどのようなことが書かれているでしょうか?
200近い呪文を全て紹介するのは無理なので、今回はその中でも重要と考えられる3つの場面をご説明します。
ここに挙げた以外にも、死者にはたくさんの試練や儀式が待ち受けていて、冥界を巡る旅は非常に長いものになっています。
・言葉をしゃべるための口開けの儀式が行われる
死者は冥界へ至るまでの間にいくつもの門をくぐり抜けなければならず、その度に自ら言葉を話さなければなりませんでした。
そのために必要だったのが「口開けの儀式」です。
これは、口だけでなくあらゆる生命機能が復活すると考えられていた重要な儀式でした。また、死者の運命を決める最後の審判でも、死者は自らの言葉で自身の潔白を神々に認めてもらう必要があったことから、とても重視されていた儀式です。
この儀式を行うのは死者の後継者と決められており、それゆえに政治的な意図が働くケースもありました。有名なところではツタンカーメンの口開けの儀式を行ったのは、宰相を務めていたアイでした。アイはその後、ツタンカーメンの後を継いでファラオになっています。
儀式には手斧やナイフといった道具の他、清められた牡牛の右足、香油なども必要とされました。
口開けの儀式は王族や貴族の墓などに壁画として描かれているので、現在でもその様子を垣間見ることができます。
ここから冥界への長い旅が始まるのです。
・オシリス神による最後の審判を受ける
古代エジプト人たちは冥界の王オシリスの前で裁判が行われると考えていました。
42柱の神々が見守る中、死者の霊魂は天秤に連れて行かれます。天秤の一方の皿には、死者の心臓(イブ)が置かれ、それは死者の生前の行いを反映すると信じられていました。
天秤のもう一方の皿には、女神マアトの羽根が置かれます。マアトは、古代エジプト人が理想とする秩序や調和を象徴する神でした。
天秤は、トト神によって監視されます。もし心臓が羽根よりも軽ければ、死者は真理に従って生きた証拠であり、オシリスから楽園へ入る許可を得ます。
もし心臓が羽根よりも重ければ、死者は罪深い者として、「第二の死」の裁きを受けます。
天秤のそばに待ち構えている、アメミット(アメミテ)という怪物が心臓を貪り食べてしまい、死者の霊魂は永遠に消滅してしまうのです。アメミットは、ワニの頭とライオンの上半身、下半身はカバという恐ろしい姿をしています。
この時、死者は自分の口で自身の潔白を周りの神々に証明しなければなりませんでした。「死者の書」には、この時どういう言動をとればいいかが細かく記載されています。
今でいえばカンニングペーパーの役割ですね。
オシリスに認められれば、死者は楽園アアルへの旅をさらに続けます。
・あの世への川を渡り、永遠の生を謳歌する
長い旅の終わり、いくつもの門や試練を突破して冥界を旅してきた死者の前に大きな川が姿を現します。
この川の向こう岸はアアルとよばれる楽園になっており、死者は守り人から舟を手に入れて向こう岸へ渡ります。
アアルでの暮らしは、現実世界とあまり違いはありません。元気な身体で、肥えた畑を耕したりパンやビールを作ったりして、充実した毎日を送ります。役人や職人だった者は、死後も引き続きその仕事を続けると考えられていたようです。充足した日々が永遠に繰り返される理想郷が待っていると考えられていたのですね。
生きている時と違うことは、時には鳥の姿になって現世に姿を現し、生者が供えてくれた供物を享受できると考えられていた点です。
また一方で違う解釈もありました。死者は太陽神ラーとともに太陽の船に乗り、地平の周りを回り続けて、永遠に生き続けるというものです。
いずれにしても、古代エジプト人たちは例外なく、死後の楽園へ到達することを目標にしており、永遠の生命へのあこがれを持って生きていたことは間違いありません。
古代エジプト人の死生観は、生と死が密接に結びついていた
「死者の書」と古代エジプトの死生観は、古代エジプト人の宗教的な信仰と深く結びついています。この書は、死者が冥界での旅を成功させ、永遠の生命を手に入れるための指南書ともいえるものでした。
古代エジプト人は、生と死が一体であり、死後の世界での生活が現世と同じくらい重要であると信じていました。彼らは死を恐れると同時に、それを乗り越えるための準備もしていたのです。
この書には、冥界での試練や困難に対処するための儀式が含まれていました。さらに、死者は冥界での神々や門番との対話などを通じて、永遠の生を手に入れることが可能だと考えられていたことが分かりますね。
これらの点から、古代エジプトの死生観で特徴的なのは、
・死後の世界では永遠に続く豊かな生活があると信じられていた。
・神々との間に対話や交渉などの人間的なつながりがあると考えられていた。
の2点ではないかと思います。
「死者の書」は、その信仰を裏付ける重要な文書であると同時に、冥界への旅を成功させるための手引きにもなっている点が独特でおもしろいと感じました。
古代エジプト人の死生観は、彼らの宗教的な思想や文化を理解する上で重要であり、現代を生きる私たちにとっても興味深いものではないでしょうか。
以上、「死者の書」と古代エジプトの死生観を取り上げてみました。
少し難しかったでしょうか?
最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。
ではまた、次回!
☆参考資料
「図説 エジプトの『死者の書』」 村治笙子/片岸直美・著 河合書房・刊
死者の書 (古代エジプト)-Wikipedia