秘密の存在だったソ連宇宙開発の父!セルゲイ・コロリョフ

こんにちは、宇宙に興味のある皆さん。きんいろ旅程です。
皆さんはセルゲイ・コロリョフという人物を知っていますか?

彼はソビエト連邦の宇宙開発の父と呼ばれており、世界初の人工衛星スプートニク1号や、世界初の有人宇宙飛行を達成したユーリイ・ガガーリンを打ち上げたR-7ロケットを開発しました。彼の業績は、米ソの宇宙開発競争に大きな影響を与えたとともに、人類の宇宙探査の歴史に残るものです。

しかし、彼の名前は死後まで公にされませんでした。アメリカでのフォン・ブラウン博士の存在とは対照的に見えます。

なぜ彼の存在は極秘扱いだったのでしょうか?その背景には、ソビエト社会の様々な事情が関係していました。

今回は、コロリョフの生涯や業績を振り返りながら、その秘密に迫ってみたいと思います。

コロリョフの生涯

生い立ち~収容所生活

コロリョフは1907年にウクライナのジトーミルで生まれました。幼い頃から飛行機に興味を持ち、大学時代はモスクワで有名な航空機設計者のツポレフから学びました。

1930年代には、戦闘機や爆撃機の開発に従事しながら、ジェット推力や液体燃料ロケットの研究を行っています。

しかし、1938年に冤罪で逮捕されてシベリアの強制収容所に送られるという不幸に見舞われました。このとき、彼は顎を骨折するほどの暴行を受けたり、壊血病や心臓病に苦しんだりしました。また、歯が抜け落ちるほど苦しんだともいわれています。

1944年に名誉回復されましたが、この経験は彼の健康と心に深い傷を残しました。

世界初の人工衛星を打ち上げ

戦後は、ドイツが開発したV-2ロケットの情報収集や改良に従事しました。そして、1953年にはR-5ロケットで世界初の核ミサイル実験に成功。1957年には、R-7ロケットで世界初の大陸間弾道ミサイル(ICBM)を開発。これはアメリカ本土を射程に収めるものでした。

しかし、コロリョフの夢は軍事ではなく宇宙にありました。彼は、R-7ロケットを使って人工衛星や有人宇宙船を打ち上げることの意義を粘り強く説き、宇宙開発に無関心だった政府や軍の支持を獲得。これによってロケットによる宇宙開発の扉が開かれました。

スプートニク1号のイメージ

1957年10月4日、R-7ロケットにより世界最初の人工衛星スプートニク1号の打ち上げに成功しました。この時、スプートニクからの信号を聞いたコロリョフは「私が生涯をかけて待ち望んでいたのは、ただこの日のことだ!」と叫んだと伝わっています。彼の大願が成就した瞬間でした。

これは、スプートニク・ショックと呼ばれる世界的な衝撃となりました。特にソ連と宇宙開発競争を繰り広げていたアメリカは大きなショックを受けたといわれています。

その後も、コロリョフはスプートニク2号で世界初の生物、犬の「ライカ」を打ち上げたり、ルナ1号で月周回軌道に到達したりしました。

そして、1961年4月12日には、ボストーク1号で世界初の有人宇宙飛行を達成しました。この時宇宙に飛んだユーリイ・ガガーリンは、「地球は青かった」という有名な言葉を残していますね。

コロリョフの死

コロリョフはその後も、世界初の女性宇宙飛行士ワレンチナ・テレシコワ(1963年)、世界初の宇宙遊泳アレクセイ・レオーノフ(1965年)などの歴史的な出来事を達成しました。

また月面着陸や火星探査などの野心的な計画を立てていましたが、1966年1月14日に心臓手術中に急死しました。死後モスクワの赤の広場にあるクレムリンの壁墓所に埋葬されています。そこはレーニンやスターリンも埋葬されているところです。

彼の死はソビエト連邦の宇宙開発に大きな打撃を与えました。事実、彼が亡くなった後、アメリカはソ連より先にアポロ11号によって月面に人類を着陸させています。

最終的にソ連はアメリカとの宇宙開発競争に敗れたものの、それはコロリョフの死後のことでした。彼の存命中はむしろソ連のほうが競争をリードしていたのです。これは見逃せないポイントといっていいでしょう。

コロリョフは死後に「社会主義労働英雄」や「レーニン賞」などの栄誉を受けました。彼は宇宙開発史上最も偉大な人物の一人として語り継がれています。そして、彼が残した技術や理念は、今日のロシアや他国の宇宙開発に引き継がれています。

秘密にされたコロリョフの存在

コロリョフは、ソビエト連邦の宇宙開発の父と呼ばれる人物ですが、彼の名前や顔は一般には知られていませんでした。なぜなら、彼の存在自体が国家機密とされていたからです。彼は「チーフ・ディレクター」と呼ばれていました。

では、なぜ彼は秘匿されなければならなかったのでしょうか?その理由は、主に二つあります。

一つ目は、彼がスターリンの大粛清で逮捕された過去を持っていたことです。

1944年に名誉回復されましたが、その時点ではすでに戦争が始まっており、彼の技術力を必要とするソビエト政府は、彼の逮捕歴を隠すことにしました。また、彼自身もその過去を忘れたいと思っていたと言われています。

二つ目は、彼が開発したロケットや宇宙船が非常に大きな軍事的価値を持っていたことです。

彼は世界初の大陸間弾道ミサイルや人工衛星を打ち上げることに成功しましたが、それらはアメリカや他国への核攻撃能力を示すものでもありました。そのため、ソビエト政府は彼の技術を盗まれないようにするため、また暗殺の危険から彼を守るために、彼の身元を明かさないという方針をとったのです。

実際、アメリカの情報機関はコロリョフの存在を知っていましたが、彼の名前や顔はつかめなかったといわれています。

こうした理由から、コロリョフの存在は彼の死後まで秘密にされました。

ある意味、その存在は当時の世界情勢のなかでは大きすぎたといえるのかもしれません。

おわりに

今回はソ連のロケット工学者セルゲイ・コロリョフについてお話してきましたが、いかがでしたか?

彼は世界初の人工衛星打ち上げや有人宇宙飛行などの偉業を成し遂げた人物ですが、その名前は死後まで公にされませんでした。その背景には、ソビエト社会の様々な事情が関係していたのです。

彼は最後まで自分の名声や栄誉よりも、宇宙開発そのものに情熱を注いでいました。また、自分のチームや部下に対する敬意や信頼を持っていました。彼は自分一人ではなく、多くの人々の協力や努力が宇宙開発を成功させたと考えていたのです。

彼が残した技術は現在も生き続けています。R-7ロケットは現在もソユーズ・ロケットとして用いられており、世界最多の打ち上げ実績を誇っています。また、コロリョフの名を冠した衛星追跡船や、彼の故郷にある宇宙博物館などが彼の功績を物語っているといえるでしょう。

コロリョフは、ソビエト連邦の宇宙開発の父として、また人類の宇宙探査史において重要な役割を果たした人物です。私たちは暗い過去も含めて、彼の生涯や業績を未来へ伝えていく必要があるのではないでしょうか。

最後までお付き合いいただきありがとうございました。
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では、次回もお楽しみに!

☆参考サイト
セルゲイ・コロリョフーWikipedia
セルゲイ・コロリョフ誕生(1907年)ー宙の日めくりカレンダー2023
セルゲイコロリョフとはーニコニコ大百科
セルゲイ・コロリョフを語る。ーサラリーマン、宇宙を語る。
メチータ・男の夢ースペースサイト!

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きんいろ旅程

きんいろ旅程(りょてい)と申します。おもに歴史や競馬などをテーマに、幅広く記事を執筆中。「どんな人にも読みやすい記事を書く」ことをモットーに、日々WebライティングやSEO、Wordpressなどを勉強中です。名前の由来は競走馬「ステイゴールド」から。Twitter→@kinniro_ryotei アイコン:畦ノつぶて様 @azeno_tsubute22

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