「最初は俺の番だな。とびきりの話をしてやろう」
だんだん暑くなってくる季節。暑気払いと称して俺は友人二人を自宅に招き、不思議な話や怖い話を語る会を開いた。薄暗い明かりで照らされた居間の中央に男三人が車座になって座っている。
「よっ、色男!待ってました!」
「どんな話だい?早く聞かせてくれよ」
友人たちは待ちきれない様子で俺を急かしてくる。
「よし、それでは話そう。あれは一年前、俺が山の中で体験した出来事だ……」
*
山道を歩き続け、辺りはすっかり真っ暗闇。歩き続けてくたびれた俺は宿を探していた。突然、腕に細いものが当たった。目を凝らして見ると藤の蔓だった。気づけば辺りは藤の花で囲まれていた。
ふと、暗闇の中に一軒の茅葺屋根の家が見えた。俺は藤の花を分け入ってその家へと進んでいった。
「ごめんください」
俺は戸を叩いて人を呼んだ。
「どなたでしょうか」
声がして戸が開いた。出てきたのは若く美しい娘だ。俺はその娘に話しかけた。
「山道を歩いている途中で日が暮れてきたので、一晩泊めていただける所を探しております。どうか泊めていただけませんでしょうか」
「構いません。さあ、中へお入りください」
娘は快く申し出を了承してくれた。
*
家の中に入ると俺は一つの小部屋に案内された。しばらくすると娘は水の入った湯呑み茶碗と小さな包みを持ってきてくれた。その小さな包みを広げながら娘は言った。
「これをお飲みください。疲れが取れる薬です」
包みの中には黒い小さな丸薬が二粒入っていた。
「ありがとうございます」
お礼を言いながら俺は不思議に思った。この家にはこの娘一人だけなのだろうか。両親はいないのだろうか。俺は娘に尋ねた。
「ご両親はどちらにいらっしゃるのですか」
「私には父も母もおりません。ずっと昔に亡くなりました。……それでは失礼します」
そう言って娘は部屋を後にした。
あの娘はこんな山奥に一人きりで住んでいるのか。娘を憐れむ気持ちよりも、言い知れぬ恐ろしさが俺の中で膨れ上がった。すると、次第にこの水と丸薬も怪しいものに見えてきた。俺があれこれ考えていると、一匹の蠅が水の入った湯呑み茶碗にとまった。俺は布団に横たわってその蠅をじっと見つめていた。
*
しばらくして娘が入ってきた。娘は湯呑み茶碗に目を留めて言った。
「あら、水を飲んでいませんね。薬もそのままで」
「すみません。水も飲めないほど疲れておりまして」
俺は噓をついた。
「休ませてください」
「分かりました。それではゆっくりお休みください」
そう言って娘は再び部屋を出た。
俺は横になったまま首を動かして部屋を見回した。首を右に傾けると、目の前に先ほどの蠅が脚を引きつらせて横たわっていた。やはりこの水は毒だ。そしてこの丸薬も毒に違いない。こんな山奥に娘が一人で住んでいるのはやはりおかしい。俺は起き上がると丸薬を懐に入れ、音を立てずに部屋の引き戸を開けた。
「どちらへ行かれるのですか」
目の前に娘が立っていた。心臓が飛び出るほど驚いたが、俺は平静を装いつつ答えた。
「急に元気が出てきたのです。泊めていただかなくとも結構です。それでは失礼」
「お待ちください」
廊下へ出て行こうとする俺を娘は引き止めた。
「何でしょうか」
恐怖と苛立ちが混じった感情を抑えて俺は答えた。
「貴方はひどくお疲れでしょう。水も飲めないほどに……。そのような方が真っ暗闇の中を歩いてどちらへ行かれるおつもりですか。さあ、お休みください」
「断る!」
間髪入れずに俺は娘を突き飛ばして廊下を走り、玄関から外へ出た。
*
勢いよく家を飛び出したは良いが、辺りは真っ暗だ。目を凝らしてみると、どこもかしこも藤の花だらけだ。俺の行く手を藤の花が阻んでいたのだ。娘がこちらへ歩いてきた。
「なぜ逃げるのですか……?」
「先ほどの丸薬はなんだ!あれは毒だろう、それにあの水も……。俺を殺すつもりだな!」
俺は娘に向かって吠えた。
「……あれは藤の種を丸めたもので、確かに人間には毒です。湯吞み茶碗に入っていた水も毒です。けれど、あの丸薬をあの水で呑むと不死になるのです。つまりは私と同じになるのです」
娘は淡々とした口調で俺に語りかけた。私と同じだと?では、この娘は不死の化け物なのか?
「お前は人間ではないのか?なぜ俺を狙うのだ?」
俺の問いかけに対して、娘は頬を赤くして答えた。
「……一目惚れです。貴方のその美しいお顔が老いてしまい、やがて朽ち果てるのが恐ろしいのです。貴方は私の夫となって永遠に暮らすのです」
俺は身震いした。永遠に生きるなんてことがあってたまるものか。それでは化け物ではないか。人間は命が限られているから面白いのだ。俺にとっては永遠に生きるなんて死んでいるようなものだ。自分のやりたいことが永遠にできると言われてもごめんだ。それに化け物に褒められても俺は嬉しくもなんともなかった。たとえ見た目が美しく若い娘であっても。俺は娘に向かって言い放った。
「ふん、化け物め。俺は限りある人生を存分に楽しみたいのだ!不死の化け物などと同じになってたまるか!」
俺の罵声を浴びて、娘はさめざめと泣き出した。
「なんと、化け物などとは……。酷い、死なないというだけで怪我もすれば病気もする身。笑いもすれば泣きもします。死なないというだけで化け物呼ばわりとは……。ええい、逃がしはしませぬ!」
娘のその声に応えるように藤の蔓が俺の脚に絡みついてきた。脚だけではない。腕や身体にまで藤の蔓が絡みついてきた。蔓はものすごい力で絡みつき、俺の全身を締め上げた。脚や腕など身体の至る所に蔓の痕が残るほどだった。
「うっ……」
俺は逃げきることができず、苦しさのあまり観念した。
「……参った。……降参だ」
「分かれば良いのです。さあお戻りになってゆっくりお休みください。そして明日には夫婦の契りを交わし、共にいつまでも暮らしましょう」
*
家の中に戻った俺は娘と居間に座っていた。俺は娘に丁寧な口調で詫びを入れた。
「先ほどは申し訳ありませんでした。宿を申し出ておきながら逃げ出すなど」
「もう良いのですよ。それよりお休みに」
先ほどの騒ぎもどこへやら、娘は穏やかな口調で俺に話しかけた。笑顔で見つめる娘に俺は言った。
「いえ、それでは私の気がおさまりません。そうだ、台所を借りてもよろしいでしょうか。お詫びのしるしに何か御馳走したいのです」
客が他人の家でそこの家主に御馳走するというのも変な話だと思うだろう。だが俺には策があったのだ。娘は俺に台所の場所を説明した。娘が案内しないのは都合が良かった。
「この部屋の向かいにある部屋が台所です。あちらの戸から出てください。台所といわず風呂もどうぞご自由にお使いください。ここはもう貴方の家なのですから」
「そうですか。では遠慮なく」
そっけない返事をして俺は台所に向かい、戸棚を物色した。戸棚には料理道具や食材が置かれていた。
「不死の化け物でも腹は減るんだな」
そんなことを口にしつつ物色していると、戸棚の奥に袋を見つけた。中に入っているのは団子の粉だ。これで団子を作って娘に食わせようと思ったのだ。具材は先ほど懐に入れた毒の丸薬だ。台所には水の入った甕が置いてあったが、どうせあれも毒に違いないのだから使わなかった。水の代わりに自分の唾で粉をこねた。自分の唾の付いた粉をこねるのは良い気分ではなかったが、仕方がなかった。誰だって自分の命の方が大事だからな。
「誰が化け物と一生を共にするものか。こんなところが俺の家であるものか。絶対に逃げてやる」
呪いにも似た言葉をつぶやきながら俺は一心不乱に団子をこねた。
*
団子を作り終えて居間に戻った俺は、小さな団子が二つ載った皿を娘に差し出した。団子の中には一粒ずつ丸薬が仕込んである。先ほどの娘の言葉を信じるなら、不死でも毒で苦しむに違いない。
「小さくて不格好ですが、どうぞ召し上がってください」
「まあ、私のために団子を作ってくれたのですね。いただきます」
娘は団子を口にした。娘め、すっかり油断しているな。俺に寄越した丸薬が混ぜてあるとも知らずに。先ほどの仕返しだ。存分に味わうがいい。
がり、と娘が丸薬を噛む音がした。少しの間をおいて、娘は苦しみ始めた。
「うぐっ……、藤の……種を……!くる……し……」
思惑通り、不死であっても毒は効くようだ。娘がもがき苦しんでいる隙に俺は逃げ出した。後ろなど振り向かずに走った。疲れなどすでに吹き飛んでいた。どれくらい走っただろうか。気が付くと、辺りはすっかり明るくなっていた。
*
「……以上、これが一年前に俺の身に起こった出来事だ」
俺の話を黙って聞いていた二人は口をぽかんと開けて俺の方を見ている。
「なんだ君たち、これは本当にあった話なんだぜ。信じられないのかい?あの時に巻き付いた藤の蔓の痕が証拠さ。ほら、これだよ」
そう言って俺は左の袖をまくり、腕にまだ残っている蔓の痕を二人に見せる。二人は驚きつつも納得がいったようだ。
「……あの後、その娘はどうなったんだい?」
友人の一人が声を震わせて尋ねる。
「知るものか。あの娘が本当に不死であるなら、今でも毒で苦しみ続けているだろうさ。もし不死でないなら、娘の死体は今でも横たわっているままだろうさ」
「しかし、とんでもない冒険だったね……」
震えながら話すもう一人に俺は答える。
「そうだな。だが俺はさらに冒険を続けたい。色々な場所へ行ってみたいんだ。限られた命を使って色々なことをしてみたいんだ。人間の命には限りがあるから面白い。君たちもそう思わないか?」
熱のこもった俺の問いかけにも二人は目を丸くしたままで頷きもしない。と、その時。
「……お迎えに参りましたわ。愛しい人……」
若い女の声が俺の背後で聞こえてきた。恐る恐る後ろを振り向くと、そこにはあの娘が青白い顔をして立っていた。
あとがき
松尾芭蕉の俳句「草臥れて宿借る頃や藤の花」に着想を得て、この物語を作りました。皆さんも知らない宿に泊まる際は気をつけてくださいね。
