山形県

漢字の由来

山形県の「山形」という地名は、平安時代初期の『和名類聚抄』に登場する「山方(やまがた)郷」が由来です。

山のふもとや山の方にある土地を意味する「山方」が、後に、「山形」へと変化していきました。

四方を山に囲まれた地形に由来になります。

起源は「山方郷」
古代の出羽国(現在の山形市付近)の地名「山方」が元になっており、これは「山の方にある土地」や「山のふもと」を指しています。
「山形」への変化
南北朝時代に、斯波兼頼(しばかねより)がこの地に拠点を置いて政治が安定すると、土地の資料に「山形」という表記が登場するようになったのです。
地形的背景
山形県は、月山や蔵王など多くの山々(面積の約85%が山地)に囲まれています。
まさに「山の形」を示す地形であったことが地名の定着に繋がったとされています。

歴史

山形県は、古代から出羽国(でわのくに)として、最上川流域を中心に発展しました。

戦国時代には最上義光が治め、江戸時代には米沢藩の上杉鷹山(うえすぎようざん)による藩政改革で知られるようになりました。

明治9年(1876年)に現在の山形県が誕生しました。伝統文化や独自の食文化が受け継がれています。

古代・平安時代
最上川流域は早くから開け、稲荷森古墳などの巨大な古墳が存在します。
出羽国が成立し、奥州藤原氏の勢力下でもありました。
戦国時代
最上義光(最上氏)が最上・村山地域を統治し、伊達政宗の伊達氏とも争っていました。
関ヶ原の戦いでは、義光が57万石を領有し、現在の山形城の基礎を築き上げました。
江戸時代
5つの藩(米沢・山形・上山・天童・新庄)に分かれています。
米沢藩では、上杉鷹山が藩政改革を実施しました。
明治維新~現代
明治9年(1876年)に現在の山形県が誕生しました。
文化・産業
山寺(立石寺)などの霊場、寒河江(さがえ)、酒田などの港町が栄えています。
将棋駒(天童市)や紅花、サクランボなどの特産品が有名となっています。

名所とキーワード
最上川
山形県を南北に流れている川です。
山寺(立石寺)
松尾芭蕉が『おくのほそ道』で名句を読んだ霊場です。
上杉鷹山
江戸時代中期の米沢藩主。
破綻寸前(はたんすんぜん)の藩政を再建し、「為せば成る」の名言で知られている改革者です。
最上義光
戦国~安土(あづち)桃山時代の武将で、関ケ原の戦い前後に出羽国を治めた功臣(こうしん)。
酒田の即身仏
酒田市の「砂高山 海向寺」にある2体の即身仏は、江戸時代の飢饉や病の救済の歴史を伝えていました。

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