歌と自信と度胸

私にとって歌というのは特別なものです。

幼稚園時代から歌うことが好きですし、
一時周囲の音を聞くのが気持ち悪くなってしまったときにウォークマンに入れていた音楽に助けられました。

一時期、私は歌うことをしなかった時期があります。
小学生時代です。

あの時の私は今以上に引っ込み思案で、
親とカラオケに行ったときも歌うことが出来ずにいました。
(歌える曲がなんなのか分からなかったというのもありますが)

それでも学校の音楽の時間に歌うのは苦ではなかった記憶があります。
人前で歌うのが恥ずかしいと思ったのは高校時代でしょうか。
音楽の時に数人で課題を歌わなくてはいけなくなった時。
その時は手足が震えましたし、歌も上手く歌えなかった記憶があります。

今、思い返すと専門学校時代もそうでした。
一人でカントリーロードを歌わなくてはいけなくなった時、
心の中は穏やかではなく歌も震えそうでした。
先生には「ミヨさんの世界に引き込まれたよ」と言われましたが。

それでも歌うのは好きです。

カラオケでしたら震えることはなかったですし。

私には夢があります。

それはサイリウムの中歌うことです。

とあるコンテンツのライブに行ったときに思ったのです。
客席から見るサイリウムでさえ美しいのに、
これをステージの上から見たらどれだけ美しいのだろう、と。

声優を目指した理由の中の一つにこれがありました。
声優はキャラとして歌うこともありますし、
歌う声優になる人も少なくありません。

最近、また歌いたいという気持ちが強くなりました。

Adoさんの「ビバリウム」を読んだからです。

その中にはAdoさんの苦悩の日々やよろしくない意味で記憶に残っていること、
そして歌い手Adoとしての行動や決意が描かれていました。

私にはないものをたくさん持っているAdoさん。
魅力的な歌声とそれを理解し操る能力。
曲に対してのリスペクトの姿勢と読解力。そして読解したうえで自分にはどうやってそれを形にできるか考え、歌おうとする姿勢。
努力と研鑽。

私にない、というより私がただやってこなかっただけなのですけど。
歌声はともかく、曲に対してのリスペクトや読解力は私にも出来ることです。
なのに私はそれをないがしろにしてきた。
まぁ、ただカラオケで歌うならそれだけで良いのでしょうけど。

私も歌ってみたを投稿したことがあります。
でも、いつも最終的には消してしまうのです。
恥ずかしさ。それもあったかもしれませんが、なにより決意が足りてなかった。
歌い手になるという決意が。

だから今もこうして悩んでいるのです。

私の歌に価値はあるのか。
私に曲をリスペクトし読解し伝える力はあるのか。
そもそも歌い手になろうとしているのが間違いなのか。

悩んでばかりです。

家には買ったは良いものの、持て余している機材があります。
私は形から入るタイプですので、そうしてしまったのですが。

私には、今の私には歌う度胸がない。

歌い表せると思えない。

私には自信が、歌に自信がない。

前は、何も考えずただ歌いたいままに歌っていた。
それで良いのかもしれないけど、でも今はそれだけじゃ足りない気がして。

私は歌えずにいる。

歌いたい。けど歌う度胸がない。

私はいつも度胸が無い。
何をするにあたっても。
自身が無い。自分を信じることが出来ない。
自分にやれることなんてないんだって思ってる。
小さいこともきっと出来ないんだろうなって決めつけてる。

私は停滞している。

ずっと。ずっと。

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黄泉乃ミヨ

イラストを描くことが好きで、主に女の子のイラストを描いています。エッセイやコラムにイラストを添えいます。

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