
栗原市
みなさん「宮城県栗原市」という街を知っているだろうか?
最近ではお笑い芸人の狩野英孝さんの地元として有名だが、有名脚本家の宮藤官九郎さんの生まれの街でもある。
そして、私。ホップスの産まれ育った街でもある。私は中学卒業と同時に「宮城県仙台市」の方へ移住したが小学校、中学校と共に栗原市で育った。
この街、なんというか。特徴がないのが特徴の田舎町である。最近では「住みたい田舎ベストランキング2024」に堂々の1位を果たした偉業もある。THE・田舎町を代表する田舎町である。
私はこの街が好きでも嫌いでもある。好きな所は田舎ゆえの周りとの競争の無さ。所謂ぼんやり緩く暮らせることだ。あと普通に飯が美味い。あと、新幹線が通っていることくらいだろうか。嫌いなことは挙げればキリが無い。まず、好きな所で上げたが競争が無い故に良い意味でも悪い意味でも「刺激が無い」ことである。
街にあるのは自然、畑、田んぼ、川、沼。とにかく自然と大地。これは大学時代を東京で過ごした経験がある今だからこそ「大自然すげぇ~~~」と感動出来るが、小学校、中学校をこの田舎町で過ごした私にとっては地獄のような退屈さであった記憶がある。まず遊ぶ場所が無い。遊びとは娯楽のことである。
街にあるのは大量の薬局と大型スーパー、申し訳なさ程度のコンビニ。
学生時代(小学校~中学校)
遊び盛りの中学生くらいの子どもなんて真面目にすることが無い。黙ってお家で勉強くらいだ。
ただ、街に住む人々は人間味があって心地が良い。生真面目に説教してくるのは両親揃って教師のウチの両親くらいだ。競争が無いから誰かと誰かを比較することもない。まぁ今となっては教育、子育てにも良い街なんではなかろうか?そう思える。
私もだからこそ中学時代は勉強に集中出来た。
「高校は仙台に出るぞぉ~~」と決めていた私は中学後半にもなると受験勉強に精を出し始める。田舎町故に学習塾が無く、週に1回土日に仙台まで高速バスで出向き学習塾で授業を受け、帰りに仙台で買い物をする。それが毎週の私の楽しみであった。
勉強だけではない。自然豊かな街は運動にも最適だ。
私は中学時代、バスケ部に在籍していたが。入部していたバスケ部は所謂、弱小チームで大会で一回戦を勝てるかどうかも危ういチームだった。それ故に私が精を見出したのが「陸上競技」である
バスケ部に入部するも、小学生の頃は私は「陸上競技」に熱中して取り組んでいた経験があった。小学校の頃は80mハードルで宮城県5位に入賞するなど大自然豊かな街で広大な土地を使って私は走ることに熱を込めていた。
中学校から私は長距離マラソン。所謂「駅伝」などに積極的に取り組んだ。走ることはストレス解消にも最適だ。田舎町でやることが無かった私は「受験勉強」と「陸上競技」に無我夢中で取り組んだ。
走ることはメンタルだ。メンタルが昔は強かった私は我慢して走り切る長距離マラソンの走り終わった後の快感に魅了された。一気にたまったストレスが大量の汗と共に流れ出るあの快楽はマラソンや長距離陸上をやったことがある人は共感できるところであろう。
そして田舎町は飯が安くて美味い。コレは育ち盛りの小中学生時代の私には大変向いていた。というよりも環境が上手いことフィットしていた。


とにかく飯が安くて美味い。
育ち盛りの私は身長も中学校3年生には170cm後半にもなり、所属していたバスケ部でも何とか頭角を現すことが出来た。
それ以上に陸上競技の方では長い手足によるスパンで中学2年生時点で駅伝の区間賞を獲得するまでに至った。
惜しくも3年生で最後のバスケ部の大会で負けて引退してからも陸上競技は続け、長距離3000mの部門で栗原市で3位に入賞し、念願の県大会にも足を進めた。県大会では予選は通過したが本選では入賞することが出来ず敗退したが今でも胸を張って自慢出来る唯一の功績を獲得することが出来た。
肝心の受験勉強の方も3年次にはグングン成績が伸び、志望校自体は変えなかったが模擬試験や校内試験でもトップクラスの偏差値を取れるまでに成長した。最後に行われた校内模試では学年1位は逃したが120人程いる学年で2位を取ることが出来た。
無事に第一志望であった仙台市の高校に合格することが出来た。
やはり栗原市の生活は私にはフィットしていたのであろう。その後、両親の不仲が原因で17歳でうつ病を発症することになるが地元の高校に通っていればうつ病にもなることも無くノンストレスで過ごすことも、もしかしたら出来たのかもしれない(したらば論になるが…)
飼い猫「ティミー」の存在


我が家にはもう一人(1匹)家族がいる。飼い猫のティミーである。
スコティッシュフォールドのオス猫(去勢済)である
浪人していた19歳の頃に寂しさから癒しを求めてペットが欲しいと思っていた私は宮城県の猫のブリーダーさんの紹介サイトから宮城県気仙沼市で産まれて間もないこの猫の存在を知る。
何件かメールを重ね、実際に仙台まで猫を連れてきてもらって実物を見せてもらった。一緒に居た母親も猫を気に入り、ブリーダーさんから猫を譲り受けた。なんでも身体が大きいらしく子猫を探しに来ていた他の人たちは猫を悩んだ末に引き取ることが無かったらしい。我が家に来た事、巡り合ったことは何かの縁なのかもしれない。私たち家族はこの猫を引き取り、新たに家族に加えることに決めた。
名前は「ティミー」。アメリカのバスケットボール選手ティム・ダンカンの愛称「ティミー」から名前を貰った。
珍しい名前であろう。飼い主の私からの影響である。身体も大きい。まるで猫というよりも狸(たぬき)である。
この猫の存在は大きく、我が家の栗原市の父の実家で生活している母と父にティミーを預けているが、時折タイミングを見てよく実家に帰ってはティミーと遊んでいる
猫としては珍しく人間様の言うことや自分の名前を理解しているらしい。産まれてすぐ引き取ったせいもあるのか日本語に囲まれて育った猫だからであろう。なんとも利口である。トイレも最初から指定の場所でしている。基本的なことはブリーダーさんが飼育してくれていた。ブリーダー様様である。
綺麗好きで潔癖症の気難しい猫である。最近はもう10歳以上の高齢猫にもなって消化機能が弱く、たまに毛玉や餌を吐いたりしてしまう。


基本的な世話はほとんど母に任せてある。ティミーも私を飼い主として認識してはいるが餌のおねだりは母へする。
母も大変そうに飼育しているがこのティミーの存在はわが家族に大きな影響を及ぼしているし、大切な家族の一人である
栗原市で未だ元気に毎日を過ごしている。いつかは私も一緒に暮らしたいところである。
今、現在から見た「栗原市」
以上、私の産まれの故郷「栗原市」とそれにちなんだ話題を書き連ねたがどうだったであろうか。
退屈せず読んだ貰えたなら嬉しい限りである。
そこで中学校までの昔の栗原市のことはわかったが、今現在の「栗原市」ってどんなもんなの?という結末に入っていきたい所である。
結論から言うと「住みやすい田舎町」というのは分かる。その通りである。無駄な娯楽を省いて必要最小限で必要な物は揃ってある(新幹線や高速バスが何本もあり仙台へのアクセスも良好である)
住む分には場所を選ぶが、やはり高齢者や若手のご夫婦などには低コスパで住める街であるだろう。
私もよく週末に高速バスを利用して実家には帰っているが、今だからこそ「住みやすい街だなぁ」と思える


仙台もだいぶ栄えた。個人的には震災があった東北の地からよくココまで再生したなと思えるばかりである。
私も長く宮城県に籍を置いて長く住み続けたいと思っている
なかなか話題になることも少ないが何とも言い表せない田舎町。それが「栗原市」であろう。

最近は宮城県も仙台市とそれ以外の街で街づくりが分割されているというか細分化されているように思える。仙台を中心に盛り上がりはある。郊外の街も独自の取り組みで再生を続けている。
何はともあれ小学校、中学校と苦い思い出が多い地元「栗原市」であるが、大自然豊かで冬には白鳥も訪れることで有名である。誇りを持って日々過ごしたいと思っている。
いつかは仙台市と栗原市を行ったり来たりしながら私も栗原市出身の身として地元貢献出来たらと思う。
なによりティミーを含めた家族もいるし。これからが山場だ。

