漢字の由来
岩手県の名称は、盛岡市にある三ツ石神社の「鬼が残した手形」伝説が由来とされています。
悪鬼(あっき)を懲(こ)らしめた神様が石に手形を押させた(岩に手形)ことに由来する説が有名です。
他にも、岩手山周辺の地形(岩出)から転じた説や旧盛岡藩の地名「岩手郡」から付けられたという背景もありました。
「三ツ石」伝説
盛岡市東顕寺(とうけんじ)の境内(けいだい)にある3つの大きな石(三ツ石様)に、悪さをした鬼が2度と来ないという約束とともに手形を押した故事がありました。
この「岩に手形」が「岩手」の語源とされています。
地理・地形説
東北の名峰・岩手山(火山)から流れ出た溶岩地形(岩出)が転じて「岩手」になったとされています。
歴史的背景(明治期)
廃藩置県(1871年)の際に、盛岡県が誕生しました。県庁が設置されていた地が「岩手郡」であったことから、新しい県名として「岩手県」が採用されました。
また、「2度と来ない」という約束から「不来方(こずかた)」という地名も盛岡の古名として知られています。
歴史
岩手県の歴史は、エミシの拠点として朝廷と対峙した古代から、奥州藤原氏が黄金文化を築いた中世、盛岡・仙台藩による近世を経て、明治初期に現在の県域が成立した長い歩みがありました。
弥生時代から水田跡(胆沢平野)や平泉の遺産、原敬(はらたかし)や石川啄木など多くの先人を輩出した文化と歴史が特徴です。
古代(縄文~平安初期)
縄文文化が栄え、弥生時代には水田も造られていました。
奈良時代には、アテルイを中心に朝廷の侵攻に抵抗したが、胆沢城(いさわじょう)と志波城などが築かれ支配下に入りました。
中世(平安後期~戦国)
平泉を拠点とした奥州藤原氏が黄金文化を繁栄させたが、12世紀末に源頼朝に滅ぼされました。
その後、戦国時代まで南部氏や葛西氏などが支配し、秀吉の天下統一により転換点を迎えました。
近世(江戸時代)
北の盛岡藩(南部氏)と南の仙台藩(伊逹氏)に大きく分割し、それぞれ独自の文化を発展させてきました。
近代(明治~現在)
1876年(明治9年)に現在の岩手県が成立しました。原敬(首相)、新渡戸稲造(教育家)、石川啄木・宮沢賢治(文学)など、日本の近代化に貢献した多くの文化人を輩出しました。
