★プロローグ
1990年2月14日、はるか彼方の宇宙空間から、あるデータが地球に届きました。60億㎞の距離を越えて届いたそれは、一枚の写真。13年前に打ち上げられた、惑星探査機ボイジャー1号が撮影した地球の写真です。そこに映っていた地球の姿は、太陽光の一条の中にほんのかすかに輝く小さな青い点にすぎませんでした。しかし「ペイル・ブルー・ドット」と呼ばれるその小さな点は、私たち人類にとって大きな意味を持っています。
なぜ、その写真が特別なのでしょうか?
今回は、航海者と名付けられた惑星探査機、ボイジャーの旅の軌跡をとおして、その意味を考えてみましょう。
ちなみにゲーム「Fate/Grand Order」に登場するキャラクター「ボイジャー」のモデルですよ。最近ではこちらの方がよく知られているかもしれませんね。
それでは今回の旅の舞台、無限に広がる大宇宙に出発です!
★「太陽系グランドツアー」計画
ボイジャーは、アメリカ航空宇宙局 (NASA) によって太陽系の外惑星を探査する目的で計画されました。外惑星とは具体的には木星、土星、天王星、海王星をさします。この外惑星探査の計画は「太陽系グランドツアー」と呼ばれました。惑星は太陽の周りをまわっていますが、ちょうど外惑星が同じ方向に並ぶため、1970年代末はこれらの探査には千載一遇のチャンスだったのです。そのタイミングは175年に1度だけ。科学者たちは、その機会を逃す訳にはいかなかったのです。
それを可能にした新しい技術、それが「スイングバイ航法」です。スイングバイとは、かんたんにいうと惑星や天体などの重力を使って機体を加速したり、その進路を変えたりする技術です。また探査機が太陽系を脱出する時に必要になるスピードにも大きく影響するので、スイングバイがなければ「ペイル・ドット・ブルー」の撮影も不可能だったかもしれません。後に続いた探査機、たとえば「はやぶさ2」などもスイングバイを行っています。スイングバイは、計画が考えられていた1970年代当時としては最新の技術であり、これによって太陽系グランドツアーの実現は大きく前進しました。
ちょうど人類を月に送り出したアポロ計画もひと段落を迎え、予算が獲得出来たことや、先行探査機によって打ち上げと宇宙航行のノウハウも蓄積された絶好のタイミングだったことも大きいと思います。
当時、火星にはバイキングが、木星や土星にはパイオニア探査機が送られていましたが、その外側の惑星についてははほとんどわかっていませんでした。太陽系の全容を知る為にも、外惑星の探査は必要だと考えられていたのですね。
こうして2機の無人惑星探査機がつくられ、ボイジャー1号、ボイジャー2号と命名されました。先ほども言いましたがボイジャーは「航海者」という意味です。星々の海を航海する者。なんともセンスのあるネーミングだと思いませんか?
★ボイジャーの構造
それではボイジャーの機体を見てみましょう。分かりやすいように上の画像を基にお話しします。なお構造的には1号と2号は同じ構造をしています。重量は721.9kgあります。
まず真ん中に、白い皿のようなパーツがありますね。これが送受信用のアンテナで、地球の方を向いています。直径は3.7mあり、観測したデータを地球に送ったり、地球からの指令を受け取る部分になっています。
右斜め上に伸びているのは磁力計を載せたブーム。中間と先端に一基ずつ磁力計があります。惑星の磁場を観測するための装置です。
その左、真上に伸びているのが原子力電池です。ボイジャーの動力はここから供給されます。従来の探査機には太陽電池が使われる事が多かったのですが、探査の主軸である太陽系の外惑星は、太陽からの距離も遠く届く光も弱いため、代わりに原子力電池が3基搭載されました。出力は420W。放射線が観測装置に悪影響を及ぼさないよう、それらからは反対側のアームに取り付けられています。
その左に2本、触覚のように伸びているのは電波・プラズマ波検出アンテナです。惑星から発せられる電波やプラズマ内の粒子を観測します。
その下に見えるのがボイジャーの心臓部。様々な情報を処理するメインコンピューターが収められています。今のPCとは比べ物にならないくらいの性能ですが、打ち上げられた時には最新鋭のコンピュータでした。技術の進歩は早いですね。外側に見える金色の円盤が「ゴールデンレコード」。後ほど詳しくお話しします。
その下に伸びるアームには宇宙線やプラズマの観測装置があり、アーム先端に赤外線カメラと2機の観測用カメラが取り付けられています。ボイジャーのカメラは800m先から新聞の見出しが読めるくらいの性能。ここがボイジャーのいわゆる「目」や「耳」の部分であり、わたしたちが知ることのできる情報の多くは、ここから得られています。
このほかに姿勢を制御する為のスラスター噴射機が10数か所あり、推進剤を噴射して機体の制御を行っています。
★ボイジャーのゴールデンレコード
ボイジャーに積み込まれたレコード盤(ゴールデン・レコード)は、まだ見ぬ異星人へ向けたメッセージボトルのようなものです。いつの日か、このレコードが異星人に回収される日が来るのでしょうか?考えるとロマンがありますね。
レコード自体は銅でできており表面は金メッキ加工されています。写真はそのレコードを収めているジャケットホルダーで、放射性物質(ウラン238)で覆われており、詳しく分析すればレコードがいつ作られたものなのかわかるようになっています。また写真左下の放射状の記号は太陽系と地球の位置、つまりこの飛行体がどこから来たかを表し、それ以外の記号はこのレコードを再生して情報を取り出す方法を表しています。
レコードには地球上の音、音楽、言葉などが収録されており、女性の声で「こんにちは。お元気ですか?」という日本語の音声や、海中で収録されたザトウクジラの「歌」も収められています。
その他では数枚の画像をアナログコード化したものや、ラテン語で「困難を通じて天へ(=困難を乗り越えて星の世界へ、困難を克服して栄光を掴む)」を意味する「ad astra per aspera」のモールス信号も収められています。
たとえ何十万年、何百万年という年月が過ぎ、人類が滅んだとしてもこの一種の記憶装置はボイジャーとともに宇宙空間を飛び続けます。そう考えれば、このレコードは人類の技術の集大成であり、人類が地球という惑星に確かに存在して文明を持っていたという証拠になる存在と言えます。
★惑星探査
いよいよ、ボイジャーがどのように太陽系を航海していったのか見ていきましょう。気になった方は、ボイジャーの撮影した画像と一緒に見てもらえるとより楽しめると思います。
◆打ち上げ
ボイジャー1号は1977年9月5日、ボイジャー2号は1977年8月20日、ともにケープカナベラル基地からロケットを使って打ち上げられました。1号の方が後に打ち上げられていますが、これは打ち上げ後の軌道の問題で、木星・土星へは1号の方が先に到達しています。
なおボイジャー2号打ち上げの際、ミスで送らなければならない信号が発信されず、一時期ボイジャー2号との交信ができない事態となりました。管制チームはあわてました。このままではボイジャーが自分の位置を見失ってしまいます。しかし、幸いコンタクトの復活に成功し、以後は大きな混乱はなくグランドツアーを進行させる事が出来ました。
9月18日、ボイジャー1号ははじめてカメラで撮影を行いました。それは地球と月が1枚の写真に収まっているもので、地球と月の完全な姿を同じフレームに収めた初めての写真になっています。
遠ざかる青い星。二度と帰れない故郷の姿を、ボイジャーはどのように見ていたのでしょうか?
https://photojournal.jpl.nasa.gov/catalog/PIA00013
◆木星
木星は太陽から数えて5番目に位置する、太陽系最大の惑星です。地球と比べると質量は318倍、直径は11倍あります。2機のボイジャーは1979年に相次いで木星探査を行いました。
木星では、その大気や大赤班とよばれる大きな渦の観測、薄い環や新しい衛星の発見などを行いましたが、最大の発見は、木星に一番近い衛星イオが活発な火山活動を行っているというものでした。これは木星の非常に強い重力の影響と考えられています。その噴煙の高さは実に500kmに達していました。また衛星エウロパの地表が厚い氷におおわれていることも観測によってわかりました。この結果からエウロパに生命が存在する可能性が浮上し、のちの探査機によってさらに詳しい探査が行われています。
木星の観測を終えた2機のボイジャーは、前項で説明したスイングバイをおこない、機体の加速と軌道の変更に成功。次の目的地、土星を目指します。
◆土星
土星は太陽から6番目の惑星で、太陽系では木星に次いで2番目に大きい惑星です。画像の通り美しい環を持っていることで有名ですね。ボイジャーは1980年から81年にかけて土星に接近し観測を行いました。
土星の観測の結果から、土星の風が時速1800㎞にもなること、7本だと考えられていた環が実は数千本あること、新たな衛星の存在を発見しました。
またボイジャー1号は軌道を大きく変えて衛星タイタンへ接近、観測することになりました。タイタンは太陽系の衛星の中で唯一厚い大気を持っていることが知られていたからです。生命体の存在も期待されていました。結果、大気の成分の大部分が、地球と同じように窒素で占められていることが明らかになります。しかし、地表の様子は厚い大気に阻まれ、うかがい知ることはできませんでした。このため、後にカッシーニ探査機が着陸する計画が実行されることになりました。
このタイタン探査のため軌道を変更したため、1号は当初選択肢に入っていた冥王星の探査には向かえなくなり、ほかの惑星の公転面(太陽の周りをまわる面)からも大きく離れるため、惑星探査ミッションを終了することになりました。
なお、2号は土星でもスイングバイを行い、天王星へと向かう軌道に乗っています。
◆天王星
天王星は太陽系の第7惑星。公転軌道(太陽の周りをまわる楕円軌道)から自転軸(惑星自体の回転軸)が約90度ずれている、つまりほぼ横倒しで太陽の周りをまわっているのが特徴です。
実は打ち上げ当初の予算では、ボイジャー計画は木星と土星までしか行えませんでした。しかし計画の成果が認められた結果、予算が承認され、ボイジャー2号の天王星・海王星探査が実現可能になったのです。
土星から約5年の長旅の末、ボイジャー2号は天王星へ接近。1986年1月のことでした。ボイジャー2号によって、天王星に磁場の存在が確認されました。しかし磁場の中心は惑星の中心から大幅に外れており、磁場の軸も自転軸から大きくずれています。この謎はまだ解明されていません。また天王星の環の調査では天王星の環は、できた時期が天王星本体より若いことがわかりました。
ボイジャー2号は天王星5大衛星のひとつミランダへかなり接近し、詳細な観測を行いました。その画像からは深い渓谷や溝など、複雑なミランダの構造がうかがわれます。過去の活発な地殻活動あるいは一度破壊された後再び破片が凝縮して再構成された可能性も考えられています。
◆海王星
天王星をスイングバイしたボイジャー2号は、最後の目的地、海王星へ向かいました。冥王星が惑星から準惑星へ格下げされたため、太陽系でもっとも外側を回る惑星です。
ボイジャー2号が海王星に到達したのは1989年8月。地球から遠く離れているため、通信には片道4時間を要しました。上の画像は実際にボイジャー2号が撮影した海王星の写真です。中央に見えるのが大暗斑で、ボイジャーが初めて発見した大気の渦です。また新たな衛星を発見したり、海王星にも薄くて暗い環があることがわかりました。
ボイジャー2号最後の大きなミッションは衛星トリトンへの接近・観測になりました。これは大きな成果を上げる結果となりました。なんとトリトンには凍った窒素を噴き上げる氷の火山が確認されたのです。またごく薄い大気の存在も確認されました。これが実質的に最後のミッションとなったため、ボイジャー2号は進路を気にせず、思い切ってトリトンに接近できたことが功を奏した形になりました。
この最後の大仕事ののち、ボイジャー2号はそのまま太陽系を離れる進路を取ります。そして現在でも秒速17kmというすごいスピードで私たちから遠ざかっているのです。
★「太陽系家族写真」と「ペイル・ブルー・ドット」の撮影
「ふりかえって、私たちの写真を撮ってごらん」
1990年2月、すでに主なミッションを終えて太陽系を離れつつあったボイジャー1号に、地球から奇妙な指令が発信されました。ボイジャーのミッションは目標になるべく近づいて対象を観測すること。ボイジャー1号は地球から60億kmの距離を秒速約20kmで飛行していました。その距離から撮影を行っても、地球もほかの惑星もほんの点にしか写らないか、太陽の光によって見えない可能性が高かったのです。しかしボイジャー1号は指令通り太陽系の写真を39枚撮影しました。それをつなぎあわせたものを「太陽系家族写真」と呼んでいます。
そのなかに地球が写っている写真が1枚だけありました。それが下の写真です。
(「ペイル・ブルー・ドット」一筋の太陽光の中に見える青い点が地球)
https://photojournal.jpl.nasa.gov/catalog/PIA23645
これが冒頭でもふれた「ペイル・ブルー・ドット」です。小さな青い点が見えるでしょうか?宇宙空間に対して、地球は1ピクセルにも満たない小さな点にしかすぎません。
あなたは、この写真を見てどのような感想を抱くでしょうか?
おそらく、感想は人によってさまざまだと思いますが、この写真が撮影された目的はそこにこそあると思います。この計画を主導したカール=セーガン博士は、きっとこの写真に写る地球の姿を見て、なんらかのインプレッションを持ってほしかった、それをほかの人と交換、共有してほしかったと思うのです。
個人的な解釈としては、この写真は私たちは同じ地球という星に暮らす地球人のひとりひとりであり、それは動かしようのない事実だ、ということを私たちに教えてくれているように見えます。
この一枚が特別な理由は、人類がこの距離まで自ら作ったものを到達させた証明になるだけではなく、はるか遠くから自分たちの姿を眺めてみることが初めて可能になった、その点にあるのではないでしょうか。
★エピローグ~星の海へ~
惑星探査、そして「太陽系家族写真」の撮影の後、いくつかの観測機器の電源がオフにされました。すこしでも電力を節約し原子力電池の寿命を延ばすためでした。その結果、2機のボイジャーは観測と地球との交信を続けることができたのです。太陽風(太陽から放出されるプラズマの粒子)や太陽系の広さ、その境界面についての探査が引き続き行われていました。探査の結果、太陽圏内のヘリオシース(太陽風が星間物質との相互作用でかく乱されている領域)や、太陽系と恒星間空間の境界であるヘリオポーズの詳細も徐々に解明されてきています。
二機のボイジャーとの交信は、搭載されている原子力電池の寿命などを考えると2025年ごろまでは可能であると考えられています。ただし、それ以前に太陽光センサーが太陽の光をとらえられなくなる可能性もあり、そうなると地球の位置が分からなくなり、アンテナを地球に向け続けることがむずかしくなるため、交信は不可能になる可能性が高いことが指摘されています。
2012年8月25日、ボイジャー1号がヘリオポーズに到達、太陽系を脱出し、恒星間空間に出ていたことがわかりました。ボイジャー2号も2018年11月5日、ボイジャー1号に次いで太陽圏を離脱したことが発表されています。ボイジャーは本当の意味で星の海へ船出していったのです。
このまま飛行を続ければ、ボイジャー2号は約29万8000年後にシリウスから約4光年(1光年=光が1年かかって進む距離)まで接近するとされています。またボイジャー1号はへびつかい座の方向へ飛行を続けており、約4万年後にはグリーゼ445という恒星から約1.7光年の距離まで接近します。限りなく低い確率ではありますが、ボイジャーに搭載されているゴールデンレコードが誰かの手にわたる可能性はあるといえます。
私たちはボイジャーを通して、さまざまな太陽系についての発見をすることができました。これはまさにボイジャーからの贈り物ではないでしょうか。
どうか夜空を見上げてみてください。目には見えなくても、航海者ボイジャーは確かに今、その宇宙空間を飛んでいます。
おわり