五月下旬のある日、私は一年前から付き合い始めた翔治と近所の土手へピクニックに行った。風が少し強いが良い天気。青空が晴れ渡って過ごしやすい。緩やかな斜面にレジャーシートを敷いて二人で腰掛ける。
「そろそろ衣替えの季節だよね。何を着ようか迷っちゃって」
ぼやく私に翔治はねぎらいの言葉をかけてくれる。
「そうなのか、大変なんだなぁ。俺は夏にはシルクのシャツを着るから衣替えには難儀しないけど。あ、実家から送られてくるシャツね」
「翔治の実家ってどこだっけ?」
「姫白村だよ。養蚕が盛んな村。風香も一度行ってみるといいよ。で、今着ているのもシルクなんだ。母さんが送ってきてね。世間には出回ってない特注品さ」
着ているシャツを得意そうにみせびらかす翔治をお坊ちゃんだなぁなどと思いつつ、私は話し続けた。
「翔治ってシルクの服が好きなんだね」
「着心地がいいからね。でもシルクの服が好きな理由はそれだけじゃないんだ。このシャツには秘密があってね…。このくらいの風ならちょうど良いか」
そう言うと翔治はいきなりシャツのボタンをはずし始め、シャツの前だの後ろだのをバサバサと激しくはためかせる。周囲の視線が痛い。
「ちょっと、何やってんの!?恥ずかしいからやめてよ…」
「今から面白いもの見せてやるよ」
翔治のバサバサは止まらない。次第に服が風をはらんで膨らんでくる。
「今から空を飛ぶから」
「空を…え?」
戸惑う私をよそに、シャツを大きくはためかせながら翔治は斜面を駆け降りていく。両足を地面から離した瞬間、大きな風が吹いて翔治の体が浮き上がる。体が浮き上がると同時に翔治は両手を広げて空を飛び始めた。
「と、飛んだ!?どうなってんの!?」
人間が生身で空を飛ぶだなんて!周りにいた人たちもびっくりして空を見上げている。翔治は風に乗りながら上機嫌だ。背泳ぎや宙返りなどをして泳ぐように空を飛んでいる。
「風香ー!そっちに下りていくから待っててー!」
翔治はひとしきり空中飛行を楽しむと、私の方めがけて降りてくる。シャツのボタンを留める翔治の格好を見て、私はつい大声を上げた。
「うわっ!濡れた鳥みたいにボサボサ!」
「空を思い切り飛べるのは気持ち良いんだけど、空気抵抗でせっかくの生地が毛羽立っちゃうのが難点なんだ」
あとがき
正岡子規の俳句「風吹て飛ばんとぞ思ふ衣がへ」に着想を得て、この物語を作りました。強い風が吹くと空を飛べそうだと思う人は多いのではないでしょうか。シャツをはためかせて空を飛べたら気持ち良いでしょうね。
